こんにちは。junjunです。
2学期がスタートしましたね。
教室には、元気な子どもたちの声が似合ってます。
スタートして数日ですが、早くも脳みそに汗をかくような授業をしています。
ワクワクします。
楽しいです。
でも、そう思えるようになったのは、つい数年前です。
充実した時間を過ごしてきましたが、毎朝胃が重く、
始業式前日は、熟睡などできませんでした。
結論
「シンドイ」と自覚があるなら、それは成長するチャンスなのでラッキーです。だから行動しましょう。
理由
①「シンドさ」に気づける感性があるからです。
②「成長」=「change」だからです。
③結果的に行動するきっかけが与えられて「ラッキー」だからです。
説明
①「シンドさ」に気づける感性があるからです。
特に、教師という仕事は、「気づく」=「自覚」=「メタ認知」が必要です。
子どもたち、保護者の方、同僚・・・。
特に、子どもたちのちょっとした表情や言葉遣い、振る舞いなどの変化に
気づくことが求められます。
教師も人間なので、気づけないことも当然あります。完璧ではありません。
ですが、子どもたちの多くの変化に気づくことができない状態では、
目の前に「シンドイ」事実があっても、その「シンドさ」には気づけないのです。
何か困ったことが続き、その状態を「シンドく」感じられる。
ところが、困ったことが事実起きていても、それを「困ったこと」と認識できなければ、「シンドさ」さえも感じることはできないのです。
あなたがもし、「シンドさ」に気づけているのなら、大丈夫!!
あなたは子どもたちの悲しさやつまらなさ、喜びや楽しさを誠実にキャッチできる
アンテナをもっているのです。
でも、1つ気をつけることがあります。
「気づける」ということは、自分自身を痛めつけてしまうほどの余計なことまでも
「気づいて」しまう可能性があります。
「気づいた」としても「スルー」できる技術も教師には必要です。
②「成長」=「change」だからです。
「シンドさ」を感じたら、気づいたら、その後はどうしましょう?
その後の行動は、全て自分で選べます。
たとえば・・・
①他の手だてを考え、try&errorを繰り返す。
②どうしたらいいかわからず立ちすくむ。
③「シンドさ」を与えられていると感じている相手を、トコトン憎む、
攻撃する、罵詈雑言をはきまくる。
④とにかく自分を責めまくる。
⑤誰かに愚痴をこぼす。
⑥逃げる。
などなど・・・。
さて、「シンドイ」ことが起きた時、
これらの選択肢の中で、どれが正解なのでしょうか?
私は、正解はないと考えています。
その後の行動次第で、いくらでも自分の理想に近づけると思っています。
②の「立ちすくむ」状態になったとしても、それはその人に必要な時間なのでしょう。
「シンドさ」を感じられる感性があるなら、「立ちすくんでいる」状態でも、
思考を深め、次の一歩を踏み出せるはずです。
ここで注意点なのは、
「この選択は自分で選んだ」
という事実です。
「シンドさ」の渦中にいると、自分で自分をコントロールできないくらい
メンタルにダメージを受けているので、気づかないうちに次の行動を選んでしまいます。
「〇〇のせいで私はこうなった」
と思いがちです。
でも、違います。本当は他にも選択肢はあるのです。
「選ばされた」のではなく、
「自分で選んだ」のです。
これらすべての過程が「成長」であり、すなわち「過去の自分からchangeするきっかけ」になるのでしょう。
③結果的に行動するきっかけが与えられて「ラッキー」だからです。
繰り返しますが、どんな行動にも正解はありません。
自分が「幸せ」になりたいのなら、
それに向かって「最適」と思える行動を繰り返すしかありません。
ある行動をとった時、
「正解です!ピンポーン♬」
と、誰も教えてはくれないし、どこからか音が聞こえてくるわけでもないのです。
「シンドさ」を感じ、何らかの行動をとる。
もしかしたら遠回りしているのかもしれない。
でも、それもすべて含めて「自分の人生」です。
どちらにしても「シンドさ」を感じられることで「行動する」きっかけを与えられ、
「ラッキー」といえるのです。
まとめ
私の主張は、どんな時でも「自分を責めない」ことです。
責めても何も始まりません。
いえ、責めてもいいけど、ほどほどにしましょうね。
たとえ遠回りしても、這いまわっても、
「シンドさ」を感じられる人は、いつか必ず花開く。
花を咲かせてみましょうよ!!
もしも、何か一つ考えるヒントがあるとしたら、
次のことを考えてみませんか?
できれば、紙とペンを持って、自分のとりとめのない思考を、
とにかく書きなぐってみてください。
それは、
「なぜ、自分は教室にいくのか?」
ということです。
きっと次の一歩につながるはずです。