【ミニマリスト×小学校教師】担任教師が手放した方が毎日がラクになる3つのこと【考え方編】

こんにちは、junjunです。

考え方がミニマルになったら、

冗談抜きで背中に羽根が生えたように 気持ちが楽になりました。

【悩み】

学校の先生って、 子どもからも保護者の方からも信頼されなきゃいけないし、

授業だって上手くなきゃいけないし・・・。

毎日毎日新しいことをやらなきゃいけない。

ホントに・・・自分にできるのかな?

もしかすると、このブログを読んでくださっている方の中に、

教師を目指している大学生の方や、令和2年度採用の初任者の方、

まだ経験年数が浅い方、また、私のように経験年数を経てもなお、

上記のプレッシャーの中にいる方がいらっしゃるかもしれません。

以前の私は、「こうあらねばならない」という圧を自分自身にかけ、

一人でもがいているような状態でした。

今日は、私が過去に手放した3つの考え方をご紹介します。

結論

ズバリ!     ●幻想  ●見栄  ●結果

の3つです。 手放したというより、 「手放さざるを得なかった」の方が正確かも😁

目次

幻想を手放す

 

見栄を手放す

 

結果を手放す

幻想を手放す

幻想:「現実にないことを思い描くこと。また、その思い。」大辞林より

学級担任として、どんな幻想を抱き続けてきたか?

それは、「子どもたち全員に好かれる」です。

 

なぜそれをもつようになったのでしょう? おそらく私が潜在的にもっていたものと、

子ども時代の体験、そして、テレビドラマの影響からだと思っています。

✅子ども時代の体験

転出入が数回あります。

その時の体験です。

 

今となっては「そういう先生もいるよね」と思えますが、

当時はその先生の一部しか見ていないので、 寂しく感じていたのでしょう。

 

勝手にも、「あんな先生にはなりたくない」と、 思い続けてきました。

 

しばらくすると、とても熱心で子ども思い、しかも コミカルでユーモアのある先生に出逢いました。

✅時代が求めていた「先生たち」

それが、テレビドラマ「熱中時代 先生編」の 水谷豊さん演じる、北野広大先生でした。

「こんな先生いいな・・・」

「こんな先生がいたら・・・」

そう思っていました。

 

思春期に入り、身の回りの全てに反抗しまくっていた私。

そんな私に、いえ、時代に光をくれたのが、

テレビドラマ「金八先生」の武田鉄矢さん演じる、 坂本金八先生でした。

 

テレビドラマと現実を思い切り重ねていました。

世の中も、これらの先生を「理想」と捉えていました。 まんまと大きな勘違いの幻想を抱いてしまいました。

✅幻想は砕かれるが・・・

が・・・ 私の場合、すぐにこの幻想を打ち砕かれます。

初任者1年目、5年生を担任し、何事も上手くいかない連続の日々でした。

それでも、「好かれよう」としている自分がいました。

今となっては、不安でしかたのない私が、

子どもたちに「好かれよう」としても、上手くいくワケがないのです。

 

迎合はしない、不安でしかたない、好かれたい・・・ そんなチグハグな教員スタートでした。

とてもとても苦しいスタートでした。

✅せめて嫌われないように

私が出会う人々全てを「好き」と思えないように、

私に出会う人々全てが私を「好き」と思えないことは当たり前です。

 

でも、子どもにとって、毎日会い、共に過ごし、 時には注意され、評価をされる相手が、

「大嫌い」な相手だったら、それはとても不幸なことです。

 

大人だってかなりのストレスです。

 

だったら、「大好き!」と思われることはコントロール不可なので、

せめて「嫌われない」ようにするしかありません。

そのために意識していること。

●時間を守る ●短く叱る ●言行一致 ●失敗した時は謝る ●笑顔 ●清潔感

ごくごく当たり前のことですね。

見栄を手放す

見栄:「自分をよく見せようとして、外見をかざること」(大辞林より)

✅評価がこわい?

なぜ人は見栄を張るのでしょう?

なぜ人に自分をよく見せようとするのでしょう?

人に自分のことを評価されるからでしょうか?

「Aさんって〇〇だよね」 「B君って〇〇してるんだって」

プラスの評価をされると、誰しも嬉しく思います。

褒められるってヤツです。

反対にマイナスの評価をされると、落ち込んだり、腹が立ったりします。

バカにされる、貶される・・・まではいかないまでも、 いい気分はしませんよね。

 

ところが、人によってはこういった相手へのこだわりがなく、

頓着しない人もいることに気づきます。

「人は私が気にするほど、私を見ていない」

一般的にはそうなんです。

これが普通です。

✅評価だらけの学校

ところが学校では当てはまらないのです。

教師は子どもを評価します。

今は、子どもも教師を評価します。

そしてこれら評価が、実はその人の一部だけの評価でしかないにもかかわらず、

その人全ての評価と大きな勘違いをされがちなのです。

✅私は私、あなたはあなた

誰からもよく思われたい。

自分の内からも外からも、その思いに駆られ、 ついつい背伸びをしてしまいます。

 

でも、そうなんでしょうか?

その人そのものでいいんじゃないでしょうか。

私は私のままでいい。 あなたはあなたのままでいい。

自分からも、人からも、 「そのままでいいよ」 と言われた時、

何とも言えない安心感を抱くものです。

見栄をはる必要なんて、コレっぽっちもないんですよね。

結果を手放す

結果・・・とてもやっかいな問題です。

よく言われるのが、ビジネスマンは結果、ノルマが課せられるのに対し、

教育は人間相手の仕事だから、それを求めるのは難しい、ということです。

そうだとも言えるし、そうじゃないとも言える。

今の私は、教師ももっと数字を意識した上で、

自分の実践を改めた方がいい、と思う部分もあります。

実際私はそうしています。

✅ベクトルは未来へ向ける

例えば、テスト結果です。

なぜ、この子は90点なのか?

あと10点は、理解不足だったのか?

ケアレスミスが起きたのは、どうしてなのか? ということを意識して、

授業を組み立てることもできます。

結果的にその子が100点をとれなかったとしても、

この振り返りは教師には大切です。

 

でも、子どもに結果を求めてしまうと、

やはり人間誰しも(大人にも)発達段階があるので、

全員に数字だけの結果を求めてしまうと苦痛となり、

本末転倒の状態になってしまいます。

 

結果というベクトルは、 子どもにも、教師自身にも向かわせません。

ではどこへ向かわせるのか?

 

それは、とても抽象的なのですが、

子どもたち一人一人の幸せです。

今の幸せ、未来の幸せ、共にです。

無理強いすると今がしんどくなる。

だからといって放っておいたら、未来もしんどくなる。

とてもとても抽象的です。

結果を手放す。 でも、手放しきらない。

その過程を楽しみながら、トライアンドエラーを繰り返す。

そんなところでしょうか。

まとめ

刷り込みとは恐ろしいものです。

それぞれがもつ「当たり前」は、実はとなりの国から見たら、

とんでもない非常識だったりします。

 

逆もまた然り。 だから、たまには視点を変えるための、

旅が必要です。

読書が必要です。

人と出会うことが必要です。

外からの視点を受け入れるかどうかはともかく、

これらの体験は視野を広げるために必要です。

あなたのもっている「当たり前」をあえて手放すことで、

今よりも楽しく子どもたちと接することができたら、

お互いにwin-winの関係が築けます。

ためしに一度、

「苦しいなぁ」「面倒だなぁ」と感じることを 手放してみてください。

背中から羽根が生えてくるかも・・・😁

上手くいかない体験が、明日の教師のエネルギーです。 まずは6割目指して! Let’s Have Fun!!

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